個人的に気になっているアニメやマンガの評判を観察しつつ、自分の感想や考察を述べています。明日発売のマンガとか・・・・・も紹介してます。
陽毬と晶馬の過去が描かれましたね。 やはり、血の繋がった兄妹ではなかったようです。 晶馬が両親のことで、自分のことばかり責めるのも、決して両親を許さないといっていたのも、実のこどもが自分だけだからでした。 これは予想通り。 今の所、晶馬と陽毬の関係が描かれただけで、冠葉については実の兄妹でなく、真砂子の兄であることだけが描かれました。 その辺は、今後描かれるんでしょう。 冠葉が、陽毬にこだわる理由もね。 いったいどんな過去が隠されているんでしょう? 高倉両親が属している組織は、過激な環境保護団体みたいな描写が散りばめられていました。 でも、その主張は、罪のない子供が大量に死んでいく世界を憂うものですよ。 これは、何を意味するのか? 人間も、自然の一部であるという考えに基づいての自然主義なのか、それとも環境保護団体を隠れ蓑にしたテロリスト組織なのか・・・・・。 ちょっと、判りませんね。 「子供ブロイラー」にしても「企鵝の会(ピングフォース)」にしても、現実離れしたものに感じます。 何かの比喩だと思うんですけどね。 例えば、「子供ブロイラー」は捨て犬や捨て猫の殺処分について。 「企鵝の会」は行き過ぎた思想の過激な新興宗教団体。 それらを皮肉るもの・・・・・なのだとしたら、結構簡単。 もっと、なにか深いものを感じさせますよ。 桃果の存在とかね。<運命の変革能力も含めて。 「りんご」は、アダムとイブの物語から、企鵝の会の宗教的な面を表しているんでしょうか? では、「桃」は? ・・・・長寿の象徴だったり桃太郎のお話でこどもが生まれたり・・・・「生命」を表してるのかな? それとも、鬼を倒すことで運命を変える?? だいぶ、確信に近づいたきもしますけど、まだまだ先はぼんやりとしか見えません。 この話、ちゃんと収束するのかな?(^.^; ちょっと心配になってきますよ。 誰にも選ばれなかった陽毬を、自分が選んでしまったことで、高倉家の罪をかぶることになった陽毬。 晶馬はそれに後ろめたいものを感じているようですが、陽毬は感謝しているようですね。 まぁ、そのままだったら「消えて」いたところを救われたわけですから、晶馬は救世主みたいなもんですよ。 その人が罪人だったとしても、それで相手を蔑んだり侮蔑したり恨んだりするするわけもない。 いやぁ、モテモテですなぁ、晶馬くん。 万人に愛を振りまくタイプの晶馬。 それに対し、ただ一人のためにだけその愛を捧げようとする冠葉。 なんとも対照的な二人ですけど、この二人が仲良くしていられるのは、陽毬を守るという共通の想いからなのか? 冠葉ような男にしてみれば、晶馬のようなヤツは邪魔なだけだと思うんだけど・・・・・・その辺はどうなのかね? さて、次回は何が描かれる?! P.S. 「きっと何者にもなれない者」は、高倉父の言葉から「愚民」的な印象。 プリンセス・オブ・ザ・クリスタルも、そんな感じで使ってたよ。 でも、高倉父的には、自分の子供達は選ばれた存在で在るべきではないのか? ではなぜ、プリンセス・オブ・ザ・クリスタルは兄弟を「きっと何者にもなれない者」と呼ぶのか?・・・・・その辺も気になりますね。
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